今日は節分ですね。
多くの人が、方位を気にして恵方巻を食べたり、
豆をまいて邪気を払ったりする日です。
そもそも、節分は「季節を分ける」日のこと。
この2月3日だけではないのです。
季節は4つあるというのは子供でも知っていますね。
もちろんあなたも知っています。
答えられますよね。
「春」「夏」「秋」「冬」
日本に住んでいたら、嫌というほど味わえます。
さて、この季節が始まる日、それをなんていうか知っていますか?
それぞれ、
「立春」「立夏」「立秋」「立冬」
と言います。
全てに「立」という字が入っていますね。
これは、スタートする、始まりであるという意味です。
月初めの「1日」を「ついたち」と言いますよね。
普通に嫁菜、こんなことはあり得ません。
当て字もいいところです。
でも、始まりだから、「ついたち」でいいのです。
さて、話を元に戻しまして、
節分とは、もともと、漢字の意味のとおり、季節を分ける日なんです。
四季が始まる前日、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことを指します。
では、なぜ、この春の始まりの前日だけが、クローズアップされているのでしょうか。
これは、旧暦の正月が、この時期にあるから、1年のスタートと、季節のスタートとが近いのが理由です。
また、この時期になぜ鬼を払うという儀式が定着したのでしょうか。
非常に疑問ですね。
これは、追儺という儀式がもととなっているといわれています。
追儺って、昔、古文の時間に聞いたことあるって程度だと思いますが、
この儀式は平安時代から始まった宮中の儀式で大みそかに鬼を追い払う儀式です。
これが合わさったのですね。
さて、鬼って、豆で追い払えるのでしょうか。
実際のところ、エクソシストで使う聖水や、清めの塩、清めのお神酒、と同じ感覚です。
鬼がいるかという物議は置いておいたとしても、
普通に考えたら、むちゃくちゃ強力な鬼が、豆ごときで払えるとは思いません。
でも、追い払えることになっています。
聖水もしかり、塩もしかり、お神酒もしかり。
みんながそう思っているから当たり前になっているのです。
つまり、そう思えば、それが真実になるのです。
人生も同じ。
信じるからこそ、それが現実になる。
信じてそれが現実にならない可能性もありますが、
信じずにそれに向かって努力しない限りは、可能性はゼロです。
信じれば可能性はゼロから抜け出し、現実になることを期待できるのです。
信じることは可能性を作り出すことです。
信じれば、良いのです。
貴方の能力を、
貴方の体は貴方の命令で動くことを、
貴方が貴方自身をコントロールしていることを、
信じればいいのです。
それが催眠なのですから。
宝くじも、子どもの未来も、貴方自身のこれからの人生も
信じれば、好転します。
全ては、信じること。
そこから始まります。
信じることが、全ての始まりなのです。
貴方の前途が明るい光に包まれていくことを願っています。
髙橋
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